現代の日本において私達が当たり前のように日常生活の一部として利用しているバス、このバスはいつの時代から今のように普及してどの様な時代背景を経て今の様な交通手段として私達の生活の一部に馴染んで行ったのでしょうか?今回は貸切バスの歴史を紐解いて行きたいと思います。
貸切バスの歴史:明治時代
バスの誕生は明治時代にさかのぼります。明治26年9月26日、京都で乗り合いの自動車運行が始まりました。この日はバスが初めて走った日「バスの日」として今でも国民から親しまれています。
しかし当時はライバルであった乗合馬車屋などからの妨害や、車両の故障などで安全面において、不安を持たれることが多くありました。
しかし大正時代に入れば自動車としての信頼性も高まり、全国的にバス事業が大きく成長する時期となりました。
では大正時代に入り、どのような事がきっかけでバス事業が大きく発展していったのか掘り下げていきましょう。
貸切バスの歴史:移動手段としてのバスの発展
大正12年、関東大震災の際、路面電車が大きく被害を受けた時の応急処置として約800台のバスが導入され、移動手段として大変重宝されました。
貸切バスの歴史:円太郎バスの誕生
円太郎バスとは1923年(大正12年)、関東大震災で被災した東京市内の路面電車の代行交通手段として東京市電気局がアメリカ・フォード社から貨物自動車用シャシを緊急大量輸入し、木製車体を新製した物である。
1924年(大正13年)、1月18日に、中渋谷から東京駅と巣鴨から東京駅前の最初の2路線が開業した。
明治初期に落語家である四代目橘家円太郎が東京市内を走っていた乗合馬車の御者のラッパを吹いて演じたところ、ラッパの円太郎と言われて大いにウケ、乗合馬車が円太郎馬車と呼ばれた。
この乗合馬車とバスが形態面で類似している為、新聞記者が円太郎バスと名付け多く呼ばれるようになった。
貸切バスの歴史:昭和時代
昭和に入ってバス事業は更に勢いを増していき、事業同士の合併や統合を繰り返しながら市域の重要な交通手段として更に発展していきますが、太平洋戦争ではバスの需要はありながら燃料不足などから運行が難しく、
軍用のトラックを事業用のバスに改造し使用していたバス会社もありましたが、戦後輸送需要拡大を迎えて、バス業界は国産ディーゼルバスの普及とその大型化が進んでいきました。
昭和26年大阪市で日本初のワンマンカーが登場し、都市の拡大に伴い運行時間が延長され昭和30年代に入りオリンピック開催や、東海道新幹線の開通により社会背景もバス業界も盛況を迎えます。
バス需要が増え、バス事業の系列化や大手私鉄の地方進出によって、バスターミナルのプラットフォームを構築。地方都市に行っても必ずバスがあるという状況を迎えることとなりました。
貸切バスの歴史:貸切バスの誕生
昭和30年代の需要拡大によるバスの大型化、大手私鉄の地方進出に伴い、都市間の長距離輸送にバスが利用されるようになります。同時に外国人向けの貸切バスの需要も増えてきました。
昭和44年に全線開通した東名高速道路にも長距離バスが走るようになりました。この時に電気バスの導入やバス優先レーンの設置、バスの位置情報を把握するバスロケーションの運用など様々な取り組みが始まっていきます。
貸切バスの歴史:現代
平成15年に日本のバス事業は100周年を迎えました。貸切バスや路線バスを始めとするバス事業は、これからも都市間をつなぎ、地域の公共交通機関としてさらなる進展をしていくことでしょう。
以上このようにバスは昔から人々の生活に寄り添い、また人々と街を繋ぎ私たちの生活に欠かせない交通機関としてより良い需要を作ってきました、またこれからもバスは様々な用途で活躍し、生活の一部として発展して行く事でしょう。